七五三のお申込みは
七五三ご祈祷は 例年9月20日より、お電話、もしくは小寺HPから承ります。
今年のご祈祷日は、
コロナ感染防止のため、一回のご祈祷を例年の半数程度として実施予定です。
ご祈祷や稚児衣装のお着替えなど、内容詳細は8月末日の予定で当HPでいたします。
七五三ご祈祷は 例年9月20日より、お電話、もしくは小寺HPから承ります。
今年のご祈祷日は、
コロナ感染防止のため、一回のご祈祷を例年の半数程度として実施予定です。
ご祈祷や稚児衣装のお着替えなど、内容詳細は8月末日の予定で当HPでいたします。
元旦には先ずご先祖様への子孫からのご挨拶として、「初詣は菩提寺から」とご家族ぐるみでのお出掛けです。
・午前9時 ・正午 ・午後2時の3回にわたって元旦護摩が奉修されますが、ご参詣の皆様は、それぞれの年頭の誓いや祈願を護摩木に記入され、内陣の護摩炉に護摩木を投入。それぞれの諸願成就を祈願。境内の大テントで参詣者どうしの賀詞交換で、ご接待には、・あんまん・肉まん・延寿うどん・鏡酒・ビール・コーヒー・味噌でんがく等が雰囲気を盛り上げます。
三大佛忌の一つ、お釈迦様は80歳というご長寿にして、蝋燭の焔が燈しきったかのごとく、静かなご永眠であったそうです。
釈尊を失った教団全ての人たちが、闇夜にともし火を失ったかのごとく嘆き悲しみましたが、地域の金剛講の方たちによって、御詠歌大会を開催しています。釈尊ご他界時、数多の花びらも散り初めたという伝説により、五色の花くず団子をお供えしています(希望者には配布)。
釈尊ご降誕を喜ぶ花祭りは、住宅地公園から「白像山車」の行列が練り歩きます。また出開帳として、スーパー・マーケットに隣接の児童公園広場に白像と花御堂を祀り、甘茶がけのお祝い行事をしています。
家内安全 諸願成就の護摩ご祈祷並びに大般若六百巻の転読法要祈祷。午後からは、プロ芸能人公演と檀信徒のカラオケ大会が開催されます。
ご参拝の方に振る舞われる「摩尼山ウドン」が好評です。
当山の五月慈母観音は、毎月十八日午後二時から例祭法要が・子安祈願・水子供養として営まれ、5月の大祭では、当日限定のお守り袋が授けられます。子供の為のアトラクションあり。
宗祖弘法大師様 ご生誕 御詠歌奉詠(金剛講神奈川県徳恩寺第一・第二支部)
一泊二日の仏教に親しむ機会として開催され、やさしいののさまのまなざしの下、さまざまな作務(さむ)を通じてお互いを励ましあいながら、感謝する心に目ざめ、いのちの尊さを認め合うきっかけにしたいと考えています。
薬師如来護摩法要 当山飛び地仏堂「医王寺薬師堂本尊」護摩供。
(イ)七五三は、当山本尊・横浜虚空蔵菩薩様のご加護を乞い、お寺備品の天童(お稚児さん衣装)に更衣して、仏さまへのご奉仕を表した後、お一人々を丁寧に御祈祷致します。先着200名の事前申し込み予約制。ご祈祷料、ご守護守り、衣装代、写真撮影(CD-R後日郵送)、千歳あめ付き。合計5,000円をお納めいただきます。(消費税込み)
(ロ)十三詣りは、ご本尊虚空蔵大護摩で祈願の、住職による手作りご祈祷札に生年月日と氏名を記して、その人の人生を説明いたします。
■七 五 三 とはなんですか。
合計すると「15」は古来から中国では最高の数字とされる満月を意味していました。
月は15日を周期として満ち欠けを繰り返すからです。人の世も宇宙も同じ、混沌の中に生きるのですから、日々努力を続けるしかない。その思想を、いずれも割り切れない奇数の七五三において、心してくぐり抜けることを願ったのです。
(ハ)十三詣りとはなんですか。
数え年の13は、生まれ年の干支が始めて戻ってくる年で、いわゆる「十二支の還暦」に当たります。この年齢は男女ともに人生最初の厄年に当たりますので、「変体の厄」とも呼ばれ、13日が虚空蔵菩薩様のご勝縁日であることから、13日にもうでることを「十三まいり」としてきたのです
ニレミアム・メッセージ【平成12年12月31日】
私たちは21世紀を迎えようとしている。
刻み付けられてきた時の中に忘れてはいけないこと、語り伝えていかなければならないことがある。
そして今日までの歩みの中から、希望をもって新たな世紀を迎えなければならない。
去りゆく世紀の送り火として、来るべき社会への迎え火として、広島の原爆の残り火を「こころ」として、愛と平和のカウントダウンを除夜の祭りとしたい。
今、私達がさらに希求する人類社会全体の平等な幸せ、、、、平和
自然が与えてくれていた恩恵、、、共生
自分の存在が他に与える影響、、、、、信頼
とゆうこころを灯火に託して、21世紀へのアイデインテイテイーとするために
こころのともし火・縁起
昭和20年8月6日。広島に落とされた原子爆弾の残り火を、陸軍軍曹山本達夫氏が、叔父の経営する書店に安否を気ずかい尋ねた際に 庭先でわづかにくすぶる小さなほのおから、火種として郷里へと持ち帰りました。
この残り火は、山本氏の祖母さんや達夫氏の奥様が、その火種を23年間にわたり燈しつづけた後に、1968年福岡県八女郡星野村役場のモニュメント「平和の広場」に移されたのでした。
平成12年12月31日
ニレミアムを迎えるにあたり、当山の僧、山田和尚は点火されるまでの努力 消さない為の努力 様々な人々の手によって受け継がれた尊い火を、全国都道府県に分灯することを発願し、3600キロ余りを歩きつつ、当山を含む100箇所あまりに分灯いたしました。
以来、当山の除夜のまつり「平和を祈るこころの種火」として保管し、除夜のまつりではご参詣者の祈りに分灯。除夜を迎えた境内に輝やきます。皆様のご來会をお待ちいたします。