寺歴

当山の由緒

徳恩寺

徳恩寺は元々、延命院という草庵が十世紀早々に結ばれていたが、戦乱や自然災害により衰微し、廃寺寸前であったところ、建武二年(1355)、等海律師(?~1373)の手によって、高野山真言宗摩尼山延壽院徳恩寺として中興開山されました。
江戸中期には中本寺として近隣の真言宗寺院十三ヶ寺を統べる法談所でもありました。

 

殊に元禄十四年(1701)、柳沢吉保の一族、恩田郷を治めていた柳沢信尹公より、鉄眼禅師の「大般若経六百巻」及び大名駕籠二丁のご寄進。また、奥方の 念持佛であった弁財天一躰及び弁天社を寄進建立されるなど、菩提寺への帰依信仰に篤く多大な貢献をされ、さらに信尹公の上申により、慶安二年(1649) には寺領七石の朱印地を賜りました。(朱印状の写しが現存)

 

本尊虚空蔵菩薩は、室町期の作と伝えられ、特に毎年十一月の十三詣・七五三の参詣には、ご祈祷をうける幼児や児童であふれ、横浜虚空蔵として地域の人々に親しまれています。

寺宝の金剛薩埵画軸は、当山第十九世開演僧正が、元禄年中に高野山より請来されたお大師さま直筆と伝わります。

入江正己画伯の釈尊降誕図、江戸初期に描かれた涅槃図などの寺宝のほか、故鈴木憲一・小江ご夫妻にご寄進いただいた、小島一鶏・月岡英貴・蓮尾達雄・若林卓・入江正己・小島昇画伯によって描かれた堂内の襖絵は、訪れる檀信徒の目を楽しませています。